昭和五十六年十月十五日 朝の御理解
神訓 信心の心得 「天が下に他人ということはなきものぞ。」
 天が下の人間氏子を教祖様はこのように見て居られるのです。ですから、世界中の総氏子とも呼ばれる訳ですが、その総氏子が助かっていかなければならん、日本人だけが助かればよい、金光教者だけが助かればよいというのではない。世界総氏子が助かっていかなければならない。そういう意味で私は、合楽で言われる和賀心時代を全世に広げて行こう。
 人間の助かりという事が、まあ過去数十年様々な宗教があり、特にまあキリスト教とか仏教とかという世界の最大宗教がございますが、これでは助からないという事が、先ず分からなきゃなりません。助かろうとすればする程助かれない、というまあ教理というか、の究明を致しますと、人間生身を持っている人間が助かっていけれる手立てとは、大変まあ縁の遠いものであります。そりゃ日頃申しております通りです。
 ですから先ず、私は、教祖金光大神が天地金乃神より受けられた願い、御依頼とでも申しましょうか。金光大神の信心、取次によってまあ総氏子の助かりを願っておられる訳でございますけれども、そんなら果たして、現代の金光教で助けられるか、助かるかと。
 昨日私は、今度御本部から頂いてまいりました「読心」という、読む心という。何時も分厚い御本ですけれども、この頃こんなに目が悪いから、頂くばっかりで読めんのです。それでまあ大体一通り、正教先生が読んで、そしてここは親先生が分かっとってもらわにゃいかんちいうところだけを、読んでもらう事にしとりますけれども、昨日は長い、相当長い文章ですけれども。
 福島という、去年、一昨年でしたでしょうか、あのう教学所の副所長であります先生が、ここにお話にみえました。で先達てからみえました瀬戸美喜雄先生が所長です。今度、所長を辞められまして、この福島先生がまあ所長になられたという事でございますが。先達てから本部で、正教先生達の同期の学院、当時の学院生を全部集めてお話があったのが、その福島先生のお話だったそうです。その時の話が、私聞いておりませんでしたけれども、そん時の話を全部活字にしたものが、その読心に掲載されておるという。それで読めば読む程、初めから最後迄、こりゃもう、いよいよまあ、合楽の信心が、世に問われる事になってこなければならないなあという点を、二人で話した事でしたけれども。
 中に、四神様が仏教は僧侶が仏教の敵だと、神道は神主が今の神道の敵だと。ね、金光教でも、ならお道の教師が金光教の敵だと言えるような現状ではなかろうかという意味の事が書いてあるのを、読めば、聞けば聞く程、成程、初めから最後迄、これに合楽理念ちいうか、合楽の信心を、これに裏付けしていったらこりゃ素晴らしい、こりゃお話だったねと言うて聞いた事でございます。もう本当に合楽の在り方が、教祖金光大神が天地金乃神様からお受けになられた願いというものが、そのまま現れているのが合楽です。
 ね、ですからその現れ、それを、なら例えば非難したり批判したりする者は、こりゃ金光教のいうならば敵のようなもんです。私はまあ本当に心外で足らん(たまらん)事は、合楽が教団に対して弓を引くという事を言われるが、こりゃ本当は弓を引く事が本当だという事になるです。金光大神のいうなら金光教の敵なんですから。極端に言えばそういう事になる。ただあながち、あの、教団に対して弓を引くという事、それは、心にそれを意識して弓を引くというのではなくてです、その在り方の中に、天地金乃神様の願いと金光大神が受けられた信心というものは、斯くなからなければならない、斯くなからなければ人は助からんのだ、世界中を包み回すというてもね。こういう生き方では包み回すという事は、おおそれた事であって、それをならば、合楽理念という事がもっとその福島先生なら福島先生が分かられたら、合楽理念を以てする他はないぞと言えれるような内容を持ったお話を、私は聞きながら、合楽理念の素晴らしい事、所謂、教祖金光大神の願いというものが、現代的に説かれておるのが合楽理念だと。
 先達て、十三日会の最後の私の話をさして頂く時に、神様にお願いさして頂いたら、あのう、お寿司なんかに使います「貝割れ」という野菜がありますね。もやしみたいな、あれは大根の一種らしいですね。辛い、あのう、握りなんかに使ってあります。大根の芽ですよね、あれは。あれは貝割れとこう言う、を頂いたんですけども。いうならば金光教の信心が本当に世界中を包み回す程しの内容を持っておるという事を、合楽理念によって、それを誰にでも分かるように、いうなら説き明かす。いうならば和賀心で助かる事が分かってるんだけれども、どういう生き方になれば和賀心になるかという事を説いた人がない。それを合楽理念はあらゆる角度からその気になれば、誰でもが頂けれるように説き明かしてある。
 いうならば十三日会と言や、そういう意味において、神の願いが成就する日と言われたのは確かにそうだと、合楽にいうならそういう本当なものがかいわれた。いうなら生まれたばかりの、いうならば合楽教会である。十三日会はそのやはりその芯をなすものですから、神の願いが成就する事の為に、お互いが修行もしよう、奉仕もさしてもらおうとね、という事になる訳。                      ですから、その大根の芽が出たばっかりのをいうのを、貝割れとこう言うなら、これが段々育って大根ともなる。所謂大きい根、大根は大きい根と書いてある。私共のいうなら根がいよいよ大きく豊かになっていくという事のいうならば信心精進がなされなければ、折角の合楽のかけられる願いがね、かけられたけれども成就しないという事になっては、かいわれたばかりで無くなってしまうような事であってはね、あのう神様に対して相済まん。折角のこういう神様の願いを、合楽が一身に引き受けて、そして合楽に御縁のある方達がそういう信心を頂き現わしていくというおかげを、先ず頂かなければならんというのです。
 その事を私は昨日四時ここを下がる時に、もういよいよ考えれば考える程、神様が合楽にかけられる願いというものの深さを、最近合楽の信心の重さというような事が言われますが、その重さを感じていよいよこれ程しに本当で、いうならばまあ福島先生の言葉を借りるならばですね、果たして私は金光教の敵ではないと言えれる教師がどれだけ居るか、まあ、なべていうならば金光大神の信心というものを反対に現わして、そうとしておる精進しておるなら、こりゃ、いうならば金光教の敵だと。ね、そういう中にあって、なら、まあいうならば合楽だけがですよね、神様の願いに応え奉って、まあ何というでしょうかね、孤軍奮闘しとる訳なんです。だから合楽に御縁頂く人達が、その実を、成程という実をあげていかなければならない。
 そういう事をまあ思うておりましたら、神様から、ありゃ何とか言う、入墨判官がおりましょうが、遠山、遠山の金さんですかね。あの遠山桜という事を頂くんです。ね、こりゃとても遠いという事は大変な事だろうけれども、ね、必ずいうならば遠山の金さんのように正は正、邪は邪、悪は悪、善は善とはっきり見極めのつく人が現れるという事を、現れて来るという事を教えて下さったんだと思うんです。
 ね、ですから、その現れる為には、そんなら合楽の教会だけがおかげ受けるのじゃなく、合楽の信奉者の総てが金光大神の間違いのない教えを、間違いなく受けて、間違いなく現わしていっておるという事実をね、皆さんが示していかなければ、いうなら遠山の金さんとても出来ん、その実証がなからなければ。いよいよ合楽で言われる合楽理念に基づく実験実証というものの実をあげていかなければならない。その願いたるや、神様の思いたるや、もう本当に合楽一心に願っておられるような感じが致しました。
 昨日出来れば是非皆さんも読んで頂きたい。こりゃ教師に対するお話ですから難しいけれども、合楽の修行生の先生方も是非繰り返し読んで、自分達が修行しておるこの合楽でのこの修行、合楽理念というものが、こんなにも一分一厘間違いのない教祖金光大神必須のその教えであり、又それを行ずる手立てというのが合楽理念である事を、もう一遍確かめて、確信を持っていかなきゃならんというふうに思いますね。                               どうぞ。